サッカーファンであれば、久保建英選手がFCバルセロナの下部組織であるカンテラ(ラ・マシア)でプレーしていたことがあるのは知っているはずです。
しかし、その当時のチームメイトのことまで知っているファンは、そこまで多くないかもしれません。
その筆頭が久保選手だったのですが、実はこの時一緒にプレーした選手の中には、現在バルセロナで背番号10番を背負うアンス・ファティ選手もいたのです。

ある事件が起きなければ、2人はバルセロナで同じピッチに立っている可能性もあったのです。
この記事では、そんな「アンス・ファティ選手と久保建英選手の意外な繋がり」について解説していきたいと思います。
バルセロナのカンテラでの出会い
久保選手は、10歳の時にバルセロナのカンテラの試験に合格し入団します。
ここでアンス・ファティ選手と出会うわけです。
育成年代ではかなりの強豪として知られているバルセロナの下部組織ですが、その歴史の中でも特に強く、様々な大会で優勝を成し遂げました。

久保選手は日本から、ファティ選手はギニアピサウからスペインに移住し、サッカーのプロを目指していたのです。
2人はバルセロナ市内の同じ学校に通い、友情を深めていきました。
そして、ピッチ上では同じFWとしてコンビを組み、破壊的な攻撃力を生み出していたのです。
アレビン(U?12、U-11年代)時代では、久保選手が1シーズン30試合で73得点を取り、ファティ選手が29試合で56得点を取り、2人で129ゴールを記録してリーグ制覇をしたという逸話が残っています。
身体能力がありながらもテクニック抜群なファティ選手とテクニックと知的なプレーで得点とアシストを量産する久保選手。
誰もが2人がバルセロナのトップチームへと駆け上がり、同じピッチで躍動するはずだと予想していたのです。
しかし、インファンティル(U?13、U?14年代)時代に、ある事件が起こり、彼らは別々の道を歩むこととなってしまうのです。
18歳未満の外国人選手獲得、登録違反により公式戦出場停止
当時バルセロナが、FIFAから18歳未満の外国人選手獲得、登録違反による制裁措置を受けてしまったのです。
これによって10歳でバルセロナに入団していた久保選手は、該当選手となってしまい、公式戦への出場ができなくなってしまったのです。
しばらくは練習のみ参加していましたが、この年代で試合経験を積めないことはかなり大きなマイナスとなってしまうため、やむなく日本への帰国を決断することとなります。
久保選手にとっては、「バルセロナのトップチームでプレーする」という夢から大きく遠ざかる決断をしなければならなかったため、大きなショックとなりました。
そして、ピッチでも私生活でも多くの時間を共に過ごしたファティ選手にとっても、かなりショッキングな出来事となったのです。
違う道を歩み、2人は再びスペインの地で再開をする
久保選手はその後、日本で着々と実力を伸ばし、スペインのレアル・マドリードと契約を結びます。
対するファティ選手は、着実に育成年代を駆け上がり、トップチームで10番を背負うまでに成長していきました。
2021?2022シーズンでは、久保選手はレンタル先のマジョルカに所属していて、バルセロナと対戦したのです。
残念ながらファティ選手はベンチ入りしたものの試合に出場する機会がなく、2人が同じピッチに立つことはありませんでしたが、試合前には2人で写真を撮るなど、今も友情で結ばれていることを示しました。
2人の物語はこれからも続き、いつか共闘する時が来る可能性も
久保建英選手はレアル・ソシエダ、そしてアンス・ファティ選手はFCバルセロナに所属し、これからも同じ国のリーグで戦い続けるはずです。
また、2人とも国の代表としてプレーしていることもあり、今後の長いサッカー人生で何度も敵としてプレーをする可能性は高いでしょう。
しかし、サッカーは何が起こるか分からないものです。
可能性としては低いかもしれませんが、いつか久保選手がバルセロナに移籍して、2人が再び同じピッチで「仲間として」2トップを組む日が訪れる可能性もあるかもしれません。
もしもそんなことが現実に起こるとしたならば、2人の少年時代からのストーリーを知っているすべての人が、きっとそのプレーを観て感動することでしょう。
まとめ
今回は、「アンス・ファティ選手と久保建英選手の意外な繋がり」について解説してきました。
日本の至宝である久保選手と、バルセロナとブラジル代表の至宝であるファティ選手が少年時代に2トップを組んで共に大活躍していたという過去を知るファンはまだそこまで多くはないはずです。
しかし、今後2人が活躍すればするほど、多くの人がその関係性を知ることになることでしょう。
2022?2023シーズンは、久保選手だけでなく、ぜひアンス・ファティ選手にも注目しましょう。