大谷翔平選手の高校時代についてまとめてみました。

岩手県 花巻東高校出身

大谷翔平選手の岩手県の出身高校は私立の共学の花巻東高校です。

この高校は部活動が盛んなことで知られています。

3つのコースを設置していて、大谷選手はアスリート特進コースに在籍していました。

今はスポーツコースと言われています。

この学校の硬式野球部は強豪として知られていて、菊池雄星選手に憧れて進学しています。
〇特別進学 偏差値49
〇スポーツ 偏差値45
〇進学   偏差値42

高校時代の大谷選手の目標

大谷選手は高校に入学したとき、「日本一になること」、「日本人最速となる160kmを記録すること」、「ドラフトで菊池さんを超える8球団から1位指名を受ける選手になること」を目標としていました。
大谷翔平選手の高校時代







寮生活

高校3年間は野球部の寮生活をしていた大谷選手。大谷翔平選手の高校時代

寮生活では、尊敬する菊池雄星選手を見習って、炭酸飲料やカップラーメンを控えるというルールを自分に課していました。

ほかには、当時はテレビもあまり見ないでゲームも一切しませんでした。

そのせいか高校時代は流行っている音楽もほとんど知らなかったようです。

エースになる

入学当初は硬式野球部の佐々木洋監督と話し合い、高校在学中に投手として160kmを投げる目標を目指します。大谷翔平選手の高校時代

チームでは1年生の秋までは体力づくりを優先し、投手としてマウンドにはたっていませんでしたが出場してからはエースになっています。

高校2年生のときに最速151kmをマークして「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれて注目されるようになります。

甲子園

高校2年生の夏の甲子園の直前に股関節の故障をしてしまった大谷選手は、思うように活躍することができませんでした。

高校3年生になり、センバツに出場しますが、また股関節の故障の影響で思うように投球することができませんでした。

その後、股関節の故障が完治した高校3年生の夏の岩手大会では、最速160kmをマークし、MLBからも注目されるようになりました。

この大会の決勝では15奪三振の力投を見せますが、味方のミスがあって盛岡大学付属高校に敗れてしまい、甲子園には出場できませんでした。

それでもバッティングでは高校通算56ホームランを記録しています。

当時、大阪桐薩高校のエース藤浪さんから本塁打を放っています。

大谷翔平選手の高校時代







高校時代の成績も優秀

大谷選手は、高校時代は野球ばかりしていましたが、勉強の成績もよくて常に学年では10番以内にいました。

好きな科目は日本史で、特に幕末が好きだったようです。

プロ入りした後もスポーツ科学や栄養学を独学で勉強していて頭脳明晰です。

体が大きかったので特注の机で勉強していました。

性格もよい

大谷選手は性格もよくて女子にももてていました。

高校時代は1年生のときから歩いているだけで歓声が上がっていたという証言も。

2012年ドラフト会議

高校3年生のときのドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズに単独氏名されます。

当時からメジャーリーグ行きを表明していたことで他球団の氏名はありませんでした。

日本ハムのからの指名

大谷翔平選手は当時日本ハムの指名に難色を示していて、ありがたいけれどアメリカでやりたいという気持ちは変わらないと話していました。

しかし栗山監督の説得により入団を決意します。

プロ入り後は大活躍

プロ入りしてからは投手と打者の二刀流で活躍して、球界の常識を覆しています。

大谷翔平選手

2018年ロサンゼルス・エンゼルスに入団していますが、MLBでも二刀流は大きな衝撃を残しています。

大リーグ機構と選手会から新ルールが正式に発表され、二刀流選手に先発投手兼DHでの出場を可能とさせる項目です。

大谷だけが活用しているので大谷ルールと呼ばれています。今後の活躍も期待される選手です。